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心がさびしい、 心がつらい、 心が痛い・・・ 心が喜ぶ・・・
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 一休さんの詩を遊ぶ交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★






★ 青のくさみ「森女」遊泳2001w12p1028「0690」

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お惚気の恍惚楽土花海棠

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 お惚気としても、ここまで無垢にお惚気を語れる無邪気さに脱帽しますね。
 この無邪気さ、真似したいのですけれど、天衣無縫は天性の資質でしょうね・・・
 鄙の貧しい凡愚老仁の暮らしの中からは、そんな優雅な天然は、素養として身につくものではないでしょう。

 としても、ぼろぼろにぼろが出てもいい、やっぱり、真似したいものですね。
 ぼろぼろにぼろを出し、ぼろぼろになった自意識を吹き飛ばしてしまったら、底抜けに明るく、底抜けに無邪気になれるような気もします。
 自意識の破壊を虚構してきた凡愚老仁ですから、ある程度は真似できそうな気もしているのですけれど、何かが、足枷を嵌めているのです。
 その足枷を切る楽しみもあるのですけれど、その足枷を切らない楽しみもあるんですね・・・


 お惚気の恍惚楽土花海棠   仁


 捨てるものなきはだかの心


 一休さんはずっとその足枷を切る楽しみを遊んできたのでしょう。
 けれど、森女さんとの巡り愛は、足枷を切らない楽しみでもあったけれど、森女さんが足枷にならない菩薩位の女性だったということもできるのでしょう。
 一休さんは自己を超克して底抜けになったのですけれど、森女さんは底抜けにならなければ生きていけなかったんです。
 イエスさんは野の花を観よ、といいましたけれど、一休さんはその野の花を森女さんに観たのでした。





★ 仁訳森女0690w02『 一代風流之美人 』看森美人午睡w12p1027

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一代風流之美人 艶歌清宴曲尤新 新吟腸断花顔靨 天宝海棠森樹春

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 一代の風流の美人、
 艶歌、清宴、曲、尤も新なり。
 新吟、腸を断つ、花顔の靨、
 天宝の海棠、森樹の春。

仁訳
 なんといってもこんな風流な美人はもうどこにもいないよ、
 仲間との宴の席で森公が艶歌を唱うと、情感が籠もっていつも新鮮なんだ。
 唱う度に、森公の顔の靨が悩ましくて、たまらなく愛おしくなる、
 その美しさは海棠と讃えられた楊貴妃とは比べることもできない別格の美しさだよ。
 まさに今、春絶頂の深山の森のように、森公は至高の美しさだよ。


 谷川の清水に蓮の花咲かず   仁


 人も縁も選ばず受用


 <一代風流美人>。森女さんの風流は命の天然しかありません。一休さんが捨てつづけて辿り着いた無所住無一物の世界を森女さんは天然に生きてきたんです。森女さんには京の街の地獄模様も金閣銀閣の栄華も見えないんです。日々の偶然の縁にすがって生かされていくしか命の放浪でした。強盗強姦殺人が日常の戦乱の世の中を、盲目の若い女性が一人で生きていくんです。一休さんがはじめて出会う極限を生きる実存でした。その森女さんが唄う歌も曲も、舞いも仕草も、悲しみ、苦しみを突き抜けて、清浄そのもので、人の心を撃ちました。


 一休さんも森女さんに撃たれました。
 撃たれて一休さんの風狂も消滅しました。狂雲子の虚構の彷徨は終わりました。
 森女さんとの実存の交わりによってただの人間に戻ることができたのです。
 < 本来の面目坊が立ち姿 一目見しより恋とこそなれ   一休 >
 一休さんが片想いしつづけてきた面目坊は森女さんだったのですね。
 一休さんは77歳で、やっと、真如の愛に、巡り会えたのでした。


 一休さんは森女さんとの実存の交わりによって、< 釈迦、達磨をも奴となし玉ふ程の人に成り玉ひ候はば、俗にても苦しからず候 >という母の諭しの境地に立つことができたのでした。
 つまりは、宿命の落胤煩悩から解き放たれることができたのでした。
 詩も、王朝幻想から解き放たれて、逆行ではなく、スローセックスを詩うことができるようになるのです。


 大きな命の大きな世界を疾風のように駆け抜けた狂雲子が小さな命の小さな世界に自然法爾のスローセックスを生きることができるようになったのです。名もなく、秘やかな、深山の森の幽玄な命の妙適の開花ですけれど、酬恩庵は、既に、百人を越す弟子たちの道場にもなっていて、また新しい文化の創出を魁けるアーチストたちの禅定の広場にもなっていましたから、そんな日常のど真ん中の開かれた幽玄を生きたのです。


 散るもみじ面目坊はただの人   仁


 今ここ命一念一生






★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



★★★ 青のくさみ「森女」遊泳1901『 遊泳の時空開くか秋の暮 』w12p1025 へどうぞ!!! ★★★

 

★★★ つけ句あそび交心w12q093001『 念ずれば物皆形見涼しかり 』 へどうぞ!!! ★★★
 



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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 一休さんの詩を遊ぶ交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★






★ 青のくさみ「森女」遊泳1301『 森公乗輿 』w12p1006

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小さきが寒さに震え抱き合う

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 しばらく一休さんのおのろけ語りがつづきます。
 単純で幼稚な凡愚老仁は、少年時の初心さで、一休さんの清純な恋を堪能します。ほんとうに一休さんは初な少年の心のままに純愛に耽溺しているんです。こんなにも無垢に、無心に、愛することができる一休さんが大好きになってしまいます。


 今まで、凡愚老仁にはわかりもしないのに、一休さんの純禅の来し方と行く末を眺めてきました。無所住、無一物のスタンスが森女さんへの愛にも貫かれているのでしょう。その純禅のスタンスを貫く精神は超人の技にちがいありませんけれど、現成したその実存は、ほんとうに、初心で無垢な少年のようです。あるいは幼くして母と離れ離れになった少年の母恋の胎内回帰の願望そのまんまです。

 森女さんは、そんな一休さんを、心の目で観ますから、森女さんには一休さんのインナーチャイルドが観えていたのでしょう。地獄の業苦を生きぬいてきた森女さんの心にも裸で寒さに震えるインナーチャイルドが棲んでいたのです。傷つき震える二つの裸の命が共鳴し、共振し、寄り添い合って、ここに魂の交合がはじまりました。
 森女さんは母になってインナーチャイルド一休少年を抱き、一休さんは父になってインナーチャイルド森女少女を抱きます。
 森女さんと一休さんの性愛は無濾路の魂のまぐわいとして現成したのでした。

 妙適句是菩薩位。

 ミラクルな究極の愛の結晶ですけれど、それはまるで少女と少年のままごとのように現成しているのでした。



 小さきが寒さに震え抱き合う   仁


 小さき命小さき歓喜





★ 仁訳森女0683w01『 森公乗輿 』12t0617

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鸞輿盲女屢春遊 鬱々胸襟好慰愁 遮莫衆生之軽賤 愛看森也美風流

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 鸞輿の盲女は、屢、春遊する、
 鬱々たる胸襟、愁を慰めるに好い。
 遮莫、衆生の軽賤、
 愛しく看る、森也が美風流。

 ※ 屢=シバシバ。   ※ 遮莫=サモアラバアレ。


仁訳
 目の見えない森公は、ぼくの自慢の輿に乗ってね、時折春の野辺を遊び回るんだよ。
 胸に溜まった鬱陶しい愁いも吹き飛んだように、森公は無邪気にはしゃぐのさ。
 世間の目はうるさくてね、いろいろ取り沙汰するけれど、
 あどけない森公の優美な振る舞いを、ぼくは、うっとりと、眺めているよ。



 見えない目で春の野遊びをする森女さんは、輿の前の野を駈け廻るインナーチャイルド一休少年をうっとり眺めています。その危なっかしく駈けるインナーチャイルド一休少年を手を差し出して守ろうとする森女さんの仕草が一休さんにはこの上なく優美なものに観えました。その優美な森女さんがインナーチャイルド森女少女になって、野原で唄い、舞うのを眺めているのでした。
 そしてその森女少女と一休少年は妖精のように唱い、舞い、抱き合って、夢幻の時を戯れつづけるのです。


 蝶の舞い花の靡ける春遊び   仁


 妙適清浄光交響






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★★★ 青のくさみ「森女」遊泳1204『 ある夜は星の仙女と星踊り 』w12p1005 へどうぞ!!! ★★★
 

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★★★ 青のくさみ「森女」遊泳1201『 金木犀愛するほどに苦しめる 』w12p1005 への交心です。 へどうぞ!!! ★★★
 





★ TAO交心w12p100602

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面目坊恋するほどに微笑みぬ

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 雲は天才さん、いつも交心とサポートありがとうございます。
 人と人との相互理解というのは、現実には、なかなか成り立たないものですね。理解し合ったということも、その時そのことにおいてのことで、おそらくは、心情的な幻想でしょうか。理解できている一点のみのことで、後々に全体が観えてくると、食い違いや誤解がいろいろ観えてきます。けれどその時の理解は嘘ではなく、時の経過と認識の変化で、別の側面まで観えてくるということだろうと思います。おそらくそれが人間の成長でしょう。人と人の間ではその成長に遅い早いがあり、成長の内容に質的な違いも出てきます。それは当然のことですけれど、その成長の遅速と価値観の相違を受け容れることができず、ずれや、猜疑心や不信感につながっていくことが多いですね。そうじゃないことを説明しても、変化を認め合うように理解を求めても、違いに拘って、意固地にもなったりして、心が疎遠になっていきます。
 まるで他人の場合は、それ以上のことを求めませんので、違いは大して牆壁にも反目にもならないのですけれど、身近な人になると、信頼を深めたいばかりに、ずれを直したり、隔たりを埋めようとしたり、切実になりすぎて、更にこじれたり、争ったりすることになってしまいます。
 もっとも身近な連れ添いさんの場合は、いつも一緒で、狎れ合ってしまっていますので、わがままも昂じて、根深いものになっていくことも多いですね。
 凡愚老仁はそれを愚かなことだと思いますけれど、その愚かなことだと思う態度が不誠実と詰られるようになっていきますね。
 とかくこの世は生きにくい・・・



 真には遠き身なれど女郎花   仁


 ただに眺めて愛おしむなれ


 住吉で再会する前に、一休さんは森女さんに巡り会って、森女さんに心添わせて、その憐れな身の上を慰めてやりたいと誠実にお世話したのでしょうね。けれどその優しさから、やっぱり情に流されてしまうのでしょう。森女さんはその一休さんの情に負担を覚えはじめ、離れてしまったのでした。一休さんにはまだ森女さんの菩薩道が観えていませんでしたので、多事多忙に紛れて森女さんのことは亡失していました。


 理に働けば角が立つ・・・
 真偽是非は雨濾路の真実。自己主張すれば争いになり、抗えば排斥される。
 比べず、選ばず、争わず、凡愚老仁はあるがままの現実を黙って受け容れるだけの木偶の坊になりました。こうして楽しんで呟いているのは、真偽是非とは無縁の、愚者の言葉遊びです。言葉の自遊な湧出が面白いし、知らない言葉とのめぐり逢いに心躍らせます。言葉のつながり合いが色々の世界を開いてくれるし、言葉を紡いでいけば思わぬロマンがはじまるんです。雨濾路に拘りを捨てたら、言葉が心を解き放つ友だちになってくれるんです。
 言葉が面目坊の在処へ連れて行ってもくれるんです。



 > その心こそまことなるかな   雲天


 面目坊恋するほどに微笑みぬ   仁


 からだの芯の微笑みに逢う


 一休さんは住吉で森女さんに再会し、懇ろになり、森女さんの実存を知るにつけ、森女さんに面目坊を幻ることができるようになりました。森女さんの中に一休さんの主人公、無位の真人を見いだしたのでした。森女さんを生きることが一休さん自身の主人公を生きることになったのです。彼我一如です。
 一休さんの性愛は物我一如の自然法爾を現成したのでした。


 そして、人は皆菩薩。一期一会の巡り愛を生きるようになるのでしょう。



 酔芙蓉今ここ命の火と燃ゆる   仁


 花の内にぞ無濾路は開く






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青柳仁
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非公開
自己紹介:
 21世紀を平和の世紀に!
 平和の砦を守る戦士として生きていますけれど、身近な人たちの中で、戦争に対してNO!と言い続けるスタンスを持ち続けていくことしかできません。
 手に花を!心に平和の砦を!

 平和の砦の源泉は子どもたちの未来を守ることです。子どもたちが生きる希望と勇気を持つ世の中を創りだしていきましょう。
 子どもたちと一緒に生きましょう。

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