心がさびしい、
心がつらい、
心が痛い・・・
心が喜ぶ・・・
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ TAO交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ TAO交心wy2001 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 凡愚にも言葉が友よ春の風 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
> ・・・ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。 親鸞 雲人さん、いつも交心とサポートありがとうございます。 けれど、独り遊びなら、「ひとにあきらかに申すべき身」ではないでしょう、と親鸞さんに怒られているのでしょうね・・・ あんたの言葉遊びなんぞは子どものままごと遊びと同じで、たわいもないことだから、誰も文句はいいませんよ、気がつきもしないで人は通り過ぎていくのだから、好きなように言葉遊びしなさい、と遊行菩薩さんが微笑んでくれました。
凡愚にも言葉が友よ春の風 仁 老いればなおに言葉は灯し
なにごとも忘れゆくばかりで、ついには自分のことも忘れてしまう惚けを待つ身なれば、親鸞さんも、ようそこまで生きてこられたものですね、と惚けを微笑んで迎えてくれるかもしれません。迎えられなくても、一定地獄も棲み家ですから、自らに微笑んで死んでいけるように、最後まで言葉遊びを楽しみましょう。 もう目もずいぶん悪くなりました。
法然さんは「浄土宗の人は愚者になりて往生す」とおっしゃったのですか。ならば、浄土宗の人でなくても、ただの愚者でも、「必定往生すべし」なのですよね。猿さんも犬さんも、蛙さんも蛇さんも、菫さんも薔薇さんも、みんなみんな命は往生するんでしょうね。 猿さんも蛇さんも薔薇さんもそして人も大地に戻って、元素に戻って、また巡り巡っていろいろのものに生まれ変わっていくのでしょうね・・・ 往生するというのは、きっと、新しい生へ往くことなのでしょう。 だから、そのまんま575交心遊びで、猿さんにも犬さんにも、蛙さんにも蛇さんにも、菫さんにも薔薇さんにもなって、西行さんにも芭蕉さんにも、一休さんにも良寛さんにもなって、雪女郎さんにもあなたにもなって、言葉遊びを楽しんでいこうと念っています。惚けて色々のものになれることはある意味自然法爾に近くなるのかもしれません・・・
春よ来い花の君には蝶の吾 仁 夢閨さんには森女さん添う
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 青のくさみ「森女」遊泳0901『 無垢は無垢突き抜けて燃ゆ曼珠沙華 』wq27 へどうぞ!!! ★★★
★★★ TAO交心w12y021602『 春の野辺弥勒とままごと遊ばんか 』 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 『 観音に抱かれ眠りし春の宵 』★瘋癲老仁妄詩142z10z08y0209 へどうぞ!!! ★★★
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
PR ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 都都逸で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 都都逸で交心v13s072501 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 熟れりゃ喰わぬちゃ仏のご飯 生の馳走の滴りぬ 』 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
☆☆☆ 唯呼さんの妄想迷走都々逸遊び『 憎い人・・ 』 へのしり取り都都逸交心です。 ☆☆☆
熟れりゃ喰わぬちゃ仏のご飯 手取り足取り色は匂えど 教えておいて身を惜しみしや
> 良寛0423 たまぼこの道まどふまで秋萩は咲きにけるかも見る人なしに
師匠にしり取り都都逸の手ほどき受けて、都都逸情緒で世界が艶に観えてくるようになりました。このおもしろさ、ひょっとすると良寛さんはとおの昔に嗜んでいたのかもしれないと感じます。 > 良寛0336 秋の野を我が分けくれば朝露に濡れつつ立てり女郎花のはな 連作十二首の最初の歌ですけれど、切なくも狂おしいほどの妖艶さが漂っていますね・・・
秋萩を折り摘み取れば露零る 仁 遠く牡鹿の鳴く声あわれ
手ほどきありがとうございます。
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★★★ 言葉あそび575交心v13s072210『 せめていちど声聞かせてよほととぎす 』 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 都々逸で交心v13t060403『 情の深さが徒にもなるが 晴れぬハートもいじらしや 』 へどうぞ!!! ★★★
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★ 言葉あそび575交心v13z011601 ――☆★☆―――――――――――――――☆★☆―― 花めぐる鄙の今ここ生きもうけ ――☆★☆―――――――――――――――☆★☆―― 古稀を迎える年まで生き存えています。 存命の喜び日々に新たで、日々にしみじみです。 もう、林住期も終えて、遊行期に入るのでしょうね・・・ 死を友だちにして遊ぶと、天も地も、遊泳時空となって、命が躍るようになるので、死中活在りの遊行三昧になれるのかもしれませんね・・・ 花めぐる鄙の今ここ生きもうけ 仁 愛でて見えくる古里の風 居ながらにして毎朝今日の富士山や各地の風物を見せてもらっています。ほとんど筑後の地を離れたことのない半生でした。富士さんをこの目で10回も見たことのない鄙暮らしですけれど、明日香と富士山は、ずっと、凡愚老仁の心の故郷でした。 思えば、心の故郷も、ずっと、凡愚老仁には言葉あそびの時空遊泳だったのです・・・ そして今、凡愚老仁の心の故郷は、壷の中に帰りました。 まだ定まった壷の中に居るわけではありませんが、鄙という壷や今ここという壷、あるいは女山ゾヤマという籠もり隠れの骨壺が凡愚老仁の心の棲み家です。 風俗の人の谷間に花咲きぬ 仁 空即是色恋とこそなれ <壺中天在り> 一休さんに習って『骸骨』を生きていると今ここの生が透き通って見えてきます。来し方も行く末も透き通って見えてきます。透き通っていますから形もなく、目には見えないんですけれど、言葉で観えてくるようになるんです。来し方は<火花の空>、行く末は<骨壺の空>です。その観えてくる<空>を言葉で遊ぶことが凡愚老仁の<壺中の天>なんです。 <壷中の天>は、「宇宙の空に帰れ」という天の声であり、「大地の空に帰れ」という地の声です。命に復れ、自然に帰れ、無に還れ、いろいろの言葉でいろいろの人に言われてきたことです。 花散るや空に帰って風になる 仁 幻の鳥夢に幻らんか ★ つづきます。 ★ ★ 優游575で交心v13z010104 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 小さくも壷中天在り水仙香 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― あけましておめでとうございます。 はやばやの賀状ありがとうございます。 充実した復活新婚生活の幸せな活き活き暮らしぶりが目に見えるようです。 また10年ぶりの本格医療スキルとスタンスが復活して満足な奉仕活動ができていらっしゃるようで先生のご活躍を心から嬉しく思います。と同時に能ある人の豊かな人生道場が嫉妬したくなるくらい羨ましくなります。 鄙の平穏を懶惰に生きてきた凡愚老仁には望めもしないことですけれど、林住期の豊穣な暮らしの道標を打ち立ててくださってありがとうございます。凡愚老仁は凡愚老仁なりに、林住期のスローライフの生き方を模索してみようと奮起させてもらっています。 小さくも壷中天在り水仙香 仁 念ずれば見ゆ行けば現る 送ってもらったメカジキの刺身、本場の味を堪能し、本当に美味しく頂きました。 ありがとうございます。 白鳥の飛来もあり、雁行も見られるんですね。 目の当たりに白鳥を見、雁の声を聞いて暮らす日のすこしでも訪れることをひそかに念じてきましたけれど、ついに夢に終わりそうです。幻の恋人のように一度巡り遇いたかった時鳥さんにもついに巡り逢えないままなのでしょうね・・・ 世界中を自遊に歩き回られた先生の足跡を想像しながら、せめてネットサーフィンで時空を越えた漫遊なりと楽しめるようになりたいと念じるばかりです。 雁行に添うて心を遊ばせん 仁 夢を見んとや生まれけん 在れ ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ ★★★ 言葉あそび575交心v13z011403『 笑うごと花咲くごとく散りたかり 』 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 言葉遊び575交心v13z010805『 媚女の舞う夢か現か日向ぼこ 』 へどうぞ!!! ★★★ ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁 リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉遊び575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 言葉あそび575交心v13z010802 ――☆★☆―――――――――――――――☆★☆―― 甦る時を遊ばん初景色 ――☆★☆―――――――――――――――☆★☆―― 舞はずっと無能不器用な凡愚老仁には憧憬の的でした。 虚弱児童だった凡愚老仁は体を使うことがほとんどなかったんです。ばあちゃんに負んぶされて、ひ弱に生きていました。ひ弱はいじめの対象でもあったのですけれど・・・スポーツが全然できないのもいじめの対象でした。頭ばっかり大きくて、痩せ細っていましたので、体形でもいじめられます。音楽も素養がなくて、歌も楽器も下手のまんまでした。何一つ特技のようなものがなかったんです。けれど、なぜか、小学校4年生くらいから悪童ナンバーワンが友だちになってくれていじめから守られました。中学校は越境入学したのでその友人と離れてしまいましたけれど、凡愚老仁の中学校まで出向いて、守ってくれました。中学校間の勢力抗争は激しかったんですよ。・・・ ついに音楽も舞も無縁の青春時代を過ごしてきたのでした。 手も足も体も動かさない習性が身についてしまいました。そして立志に懶くの落ち零れ人生を選んで、それでもほどほどには生き延びてきたようです。 振り返れば、ただ風が吹いているばかり・・・のネアンの旅をやり過ごしてきた空虚な半生も終わりに近く、けれど、何故か、今さらに、憧憬が湧き出してきて、音楽に憧れ、舞に憬れ、絵も描きたくなり、575も詠みたくなって、あれこれあれこれ好奇心全開になっています。失われた時へ時空移動しはじめたようです。 好奇心が漢字のはじまりに巡り遇って、自然の不思議に素直に感動を覚えはじめました。手や足の絶妙さにも感動します。手足を使ってのやり直しができるものなら・・・ 甦る時を遊ばん初景色 仁 まずは身辺り無心に歩く いま、こころは、少年時に戻っています。 指が短くてギターが弾けなかった。息が小さくてハーモニカが吹けなかった。こころは少年に戻って、笛を吹きたがっているんです。心は少年に戻って、山に登りたがっているんです。心は少年に戻って、詩を詩いたがっているんです。・・・ 無心になったら、ハーモニカも吹けたでしょうに。夢中になったら、泳ぐこともできたでしょうに・・・ 若いということは、無心になって、一心不乱に、夢中になれることだったのでしょうね・・・ 夢中になって傾ぶいたら、小唄も唄えたでしょうに。舞も舞えたでしょうに・・・ こころは、いま、少年に戻って、無心に小唄を真似して唄っています。 こころは、いま、少年に戻って、夢中に舞を真似して舞っています。 こころは、いま、少年に戻って、真似する言葉を遊んでいます。 言葉が、真似する世界の道標なんです。 初歩きあとり落ち豆群れて食む 仁 吾が見えずか無害と知るか 夢中に食むも無心に歩くも我を忘れている姿なのかもしれません。お互いに我を忘れているので、我の姿は見えず、命の相で共振、交感しているのかもしれません。命の共振交感の閾は、もう、カミの閾なのでしょう・・・ 「若」は「艸冠」と「右」でできていますが、元の象形は「艸」で、これは巫女が長髪をなびかせ、両手をあげて舞ながら神に祈り、神託を求めている形です。「艸」をよく見ていると、だんだん両手を振りかざして恍惚と舞っている若い媚女に観えてきます。 見るは視覚で見ること。観るは心眼で観ることです。 言葉遊びは心眼で観る遊びですから、観自在の面白さも、自遊さも楽しめるんです。 ついでながら、「観自在菩薩」さんは、アヴァローキテーシュヴァラ(アヴァ=遠く離れて。ローキタ=心眼で観る。イーシュヴァラ=自在に。)といってその名の通り「自分から遠く離れて、見えないものを、心眼で、自遊に、観る」観音さんのことです。 地球に降りてきた星の王子さまにきつねさんは、「たいせつなものは目には見えないんだよ」と教えてくれました。砂漠で遭難したパイロットとの巡り愛の中で、星の王子さまは<大切なもの>が観えてきましたので、ばらさんが待つ自分の星へ帰って行きました。 天に星荒れ地に吾と冬薔薇 仁 飼い慣らしつつ飼い慣らされつ ★ 言葉あそび575交心v13z010805 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 媚女の舞う夢か現か日向ぼこ ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 神の信託を求めて両手を振りかざして恍惚と舞う巫女は無心で、夢中でしょう。我を落として命の閾で舞い耽ります。そんな神託を求めて祈り、舞う巫女に神は乗り移って、神意を伝えるのです。神が乗り移った巫女は恍惚の状態にあります。このエクスタシーにある巫女の姿を意味するのが「「艸」のちの「若」です。 「艸」を観て、若い媚女の舞うエクスタシーの姿態を幻視できるようになるとはっpyですね。 卑弥呼さんはもうけっして若くはなかったそうですけれど、・・・ だから神が乗り移らなくなって、神意をもらえなくなったのでしょうか。政策に失敗したり、戦争に負けたら、責任を取らされて殺されるのが定めです。 また、国は抗争が激しくなり、その後、卑弥呼さんの宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中争いが鎮まり安定したということになっています。 「右」は神への祈りの文である祝詞を入れる「口サイ」を右手に持っている形です。 祭詞には祝詞と神託が重要な統治の手段に使われるようになります。 族長や王がその祝詞と神託を独占支配しました。 祭詞の時、巫女は右手に祝詞を入れる口サイを持ち、左手に呪具の「工」を持つようになっていました。ここで右手と左手に序列がつけられます。右が左より上になります。 発展は右肩上がりだし、仕事に失敗すると左遷されます。 恍惚と舞う巫女さんの想像から、ずいぶんお喋りしてしまいましたけれど、閑愚仁の性、言葉遊び三昧も恍惚境ですから、去りがたい心地です。もうすこし夢心地を遊ばせてくださいね。夢も心の深奥に棲む媚女のはかりごとですけれど、心地好い夢を観させてもらいましょう・・・ 媚女の舞う夢か現か日向ぼこ 仁 ついにネアンの旅も終わるか 夢も空。現も空。 そういってしまえば面白くもないのですけれど、言葉あそびの世界は「空」だから面白くて、夢幻なんです。空即是色の豊穣幽艶時空です。 乃舞師匠の独り舞が一度見たかった。 けれど、見ることができなかったから、また、自在な観相を遊ぶこともできるんです。・・・とはいえ、素養のない凡愚老仁には、その観想というのができないのですけれどね。 できないけれど、言葉は重宝です。遊ぶ力で自己増殖してくれるんですよ。 言葉が言葉を生んでいくんです。 凡愚老仁のこの言葉あそびの言葉さんたちも、今まで思ったこともない言葉さんたちの集いです。空から湧いてくるんです。 言葉の勢いで、乃舞師匠の独り舞も、空から、湧いて、現れるかもしれません。 念念念狂雲起こせ冬の雷 仁 地蔵の根まで垂直下降 我を無化して命の根源まで下降する術を凡愚老仁はまだ見つけ出していないのです。 お釈迦さんも苦行を捨てて、悟りに到達したのですから、「吾の心」に命の根源は一体化しているのでしょうね・・・ 巫女さんの舞が神を呼び寄せるということは、無心に命を湧出させる舞が、もう、カミなのでしょう。カミになって生きなさい、が神の最大の神託だろうと凡愚老仁は考えています。カミは無なんでしょう。 「無」という字は、甲骨文字では、舞う人の形です。「舞」の元字だそうです。 その形は、衣の袖に飾りをつけ、袖をひるがえして舞っている人の姿をしています。後になるほど袖の飾りが複雑なものになっています。 甲骨文字では「無う(雨と下に号の下の形)ブウ」という雨乞いの祭りの字に使われたそうです。 無がだんだんその音を借りる仮借で、有無の「ない、なし」の意味に使われるようになると、無に「舛セン」(左右の足が外に向かって開く形で、舞う時の足の形を表す)を組み合わせた会意文字の「舞」が「まう、まい、おどる」の意味に使われるようになったそうです。 。。。『字解』舞p599無p653 稲や穀物の耕作で生きてきた古代人にとって雨は天の恵みですから、天はカミで、その恵みの雨もカミさんです。カミさんの雨が降らなくなったら、雨乞いの舞をしてカミさんを呼び込まなければなりません。舞はカミさんとの交心の術だったのですね。 初筆に念込め舞と書いてみる 仁 習い初めたる字の拙さよ まだ見ぬ乃舞師匠の独り舞にはどんなカミさんが降りてきたのでしょうね・・・ 乃舞師匠はどんなカミさんを呼び込もうと独り舞を舞ったのでしょうね・・・ ここから凡愚老仁の乃舞真似都々逸言葉あそびは辿り直しをはじめることになるのでしょうね。 初舞を恵み言葉の技給え 仁 言葉踊らば命躍らん 愛しき人と魂交わりを遂げたるぬしのふたり舞 仁 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 都々逸で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ かみさんの『 そんな女の世迷言 』を訪問させてもらいました。 交心させてもらおうとしたら、「※コメントの受け付けは終了しました。 」だそうです。昔は制限無しみたいでしたけれど、維持管理も巨大化すると大変なんでしょうね・・・ この日記で交心させてもらいます。 ☆☆☆ 花人さんの『 そんな女の世迷言 』 への交心です。 ☆☆☆ ★ 都々逸で交心v13z010707 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― 独り舞うきみが草場の冬菫 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★―― > 行方さだめぬ 浮草暮らし 越えてゆきたい 桶の縁 かみ 越えてゆきたい足枷ほどき 儚き恋のぬしが墓 仁 独り舞うきみが草場の冬菫 仁 独り習いの舞いにて添わん ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ ★★★ 徒然575交心v13z010501『 丹頂の初日あつめて独り舞 』 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 徒然575交心v13z010402『 霜の草踏めば苦さの在りし日々 』 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 言葉あそび575交心v13z010102『 招福の詞念じて結び松 』 へどうぞ!!! ★★★ ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 徒然575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 凡愚老仁もいつの間にか古稀を迎えてしまいます。 古稀にもなって未だ大人になることのできない未成熟人間です。未成熟人間のままでいたいという願望を遊んでいるのかもしれません。19才で絶句して・・・ということをいつもいってきました。それ以来、19才のまんまを言葉あそびで生きてきました。 心は19才を遊んでいるのに、肉体は正直です。怠惰に生きてきましたので肉体の老化も早いのでしょう。機能麻痺も多くなりました。いつ病に襲われてもおかしくない状態です。身体は枯木状態に見えてきているんです。 なのに心は青くさいまんまです。 言葉あそびをしなければ、心の青臭さは見えないのでしょうけれど、言葉あそびで青くさい心を晒していますので、顰蹙物ですけれど・・・ 一休さんは枯れ木に花を咲かせました。 ★ 『 超えて今地獄の花か酔芙蓉 』青のくさみ「森女」遊泳0501w12q0909 へどうぞ!!! ★★★ 「枯」は「木偏」に「古」と書きます。木が古くなると、年を取ると「枯れる」んですね。人の肉体も枯れるんですね。心も枯れてくれればいいのですけれど、心はいつまで経っても「19才」のまんまです。19才の青臭さを楽しんで生きています。 19の心の花を咲かせけん 仁 喜寿の体に咲け酔芙蓉 「古」という字は「十」と「口サイ」でできています。 「十」は数字ではなく、聖器としての「干たて(盾)」のことです。「盾」は目の上に「干たて」をかざして身を守る形です。その身を防御する「干」を口サイ の上に置いて、口サイの祈りの効果を長く保たせる意味を持っています。それで「古」に「ふるくからのもの、ふるい」の意味となり、あまり古くて長い時間が経つと木は枯れ、水は涸れてしまいます。それで、「かれる、かわく」の意味に用いられました。 音符が「古」の字には「生気を失った」という意味を持つものが多くなっています。 「歹部がつへん」は死者の残骸の形で、「○こ(歹部がつへん+古)」は「人が死ぬ」の意味になる。 。。。『字解』p196 ☆☆☆ 漢字物語0068『 「固」 干加え、さらに囲い守る 』 へどうぞ!!! ☆☆☆ 時が経てば古くなる。古くなれば枯れるのが自然の流れですね。心も枯れるのが当たり前なのですけれど、いつまで経っても青いまんまです。未熟者。生まれ、変化し、熟れ、枯死する。熟れないまんまで、若い内に、死ぬはずだったのに、いつまでも生き延びて、熟れないまんま死んでいく。そういう人間がいてもおかしくはないのでしょうけれど・・・ 古木のように風雪を凝縮して威風堂々坐死できる人間もいるのですけれどね・・・ 魂魄の鬼を生きたし青鬼を 仁 風にも雷にも鬼の居りけり ☆☆☆ 『 阿呼さん 裸木 』 への交心です。 ☆☆☆ ★ 徒然575交心w12k122902 ――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪―― 枯れし如立ち尽くしたる古木かな ――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪―― > 裸木の黒く燃え立つ落暉かな 阿呼 身内の阿修羅また蠢ける 仁 枯れし如立ち尽くしたる古木かな 仁 されど凛々気の澄み渡る ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ ★★★ 徒然575交心w12k122301『 ジャガイモの花と自遊を恋いし日々 』 へどうぞ!!! ★★★ ★★★ 言葉あそび575交心w12k122104『 かまくらの一夜かぎりの祈りの灯 』 へどうぞ!!! ★★★ ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★ |
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自己紹介:
21世紀を平和の世紀に!
平和の砦を守る戦士として生きていますけれど、身近な人たちの中で、戦争に対してNO!と言い続けるスタンスを持ち続けていくことしかできません。 手に花を!心に平和の砦を! 平和の砦の源泉は子どもたちの未来を守ることです。子どもたちが生きる希望と勇気を持つ世の中を創りだしていきましょう。 子どもたちと一緒に生きましょう。
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