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心がさびしい、 心がつらい、 心が痛い・・・ 心が喜ぶ・・・
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ TAO交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





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★ TAO交心w12p100602

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面目坊恋するほどに微笑みぬ

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 雲は天才さん、いつも交心とサポートありがとうございます。
 人と人との相互理解というのは、現実には、なかなか成り立たないものですね。理解し合ったということも、その時そのことにおいてのことで、おそらくは、心情的な幻想でしょうか。理解できている一点のみのことで、後々に全体が観えてくると、食い違いや誤解がいろいろ観えてきます。けれどその時の理解は嘘ではなく、時の経過と認識の変化で、別の側面まで観えてくるということだろうと思います。おそらくそれが人間の成長でしょう。人と人の間ではその成長に遅い早いがあり、成長の内容に質的な違いも出てきます。それは当然のことですけれど、その成長の遅速と価値観の相違を受け容れることができず、ずれや、猜疑心や不信感につながっていくことが多いですね。そうじゃないことを説明しても、変化を認め合うように理解を求めても、違いに拘って、意固地にもなったりして、心が疎遠になっていきます。
 まるで他人の場合は、それ以上のことを求めませんので、違いは大して牆壁にも反目にもならないのですけれど、身近な人になると、信頼を深めたいばかりに、ずれを直したり、隔たりを埋めようとしたり、切実になりすぎて、更にこじれたり、争ったりすることになってしまいます。
 もっとも身近な連れ添いさんの場合は、いつも一緒で、狎れ合ってしまっていますので、わがままも昂じて、根深いものになっていくことも多いですね。
 凡愚老仁はそれを愚かなことだと思いますけれど、その愚かなことだと思う態度が不誠実と詰られるようになっていきますね。
 とかくこの世は生きにくい・・・



 真には遠き身なれど女郎花   仁


 ただに眺めて愛おしむなれ


 住吉で再会する前に、一休さんは森女さんに巡り会って、森女さんに心添わせて、その憐れな身の上を慰めてやりたいと誠実にお世話したのでしょうね。けれどその優しさから、やっぱり情に流されてしまうのでしょう。森女さんはその一休さんの情に負担を覚えはじめ、離れてしまったのでした。一休さんにはまだ森女さんの菩薩道が観えていませんでしたので、多事多忙に紛れて森女さんのことは亡失していました。


 理に働けば角が立つ・・・
 真偽是非は雨濾路の真実。自己主張すれば争いになり、抗えば排斥される。
 比べず、選ばず、争わず、凡愚老仁はあるがままの現実を黙って受け容れるだけの木偶の坊になりました。こうして楽しんで呟いているのは、真偽是非とは無縁の、愚者の言葉遊びです。言葉の自遊な湧出が面白いし、知らない言葉とのめぐり逢いに心躍らせます。言葉のつながり合いが色々の世界を開いてくれるし、言葉を紡いでいけば思わぬロマンがはじまるんです。雨濾路に拘りを捨てたら、言葉が心を解き放つ友だちになってくれるんです。
 言葉が面目坊の在処へ連れて行ってもくれるんです。



 > その心こそまことなるかな   雲天


 面目坊恋するほどに微笑みぬ   仁


 からだの芯の微笑みに逢う


 一休さんは住吉で森女さんに再会し、懇ろになり、森女さんの実存を知るにつけ、森女さんに面目坊を幻ることができるようになりました。森女さんの中に一休さんの主人公、無位の真人を見いだしたのでした。森女さんを生きることが一休さん自身の主人公を生きることになったのです。彼我一如です。
 一休さんの性愛は物我一如の自然法爾を現成したのでした。


 そして、人は皆菩薩。一期一会の巡り愛を生きるようになるのでしょう。



 酔芙蓉今ここ命の火と燃ゆる   仁


 花の内にぞ無濾路は開く






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★ 青のくさみ「森女」遊泳1201w12p1005

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金木犀愛するほどに苦しめる

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 一休さんは、もう、森女さん無しには生きられないほどの愛しようです。その愛の深さが森女さんを苦しめるんですね。そこまで愛してくれる一休さんに菩薩を感じるほど喜びと安堵を覚えますけれど、その逆に自分のせいで、一休さんが本来の禅僧としての本分を忘れさせてしまっているのではないかと心が引けてしまうのです。


 金木犀愛するほどに苦しめる   仁

 病めるも神女芳しかりき


 何しろ一休さんの周辺には百人を越す弟子さんたちがいますし、新しい文化人、芸能の創造者たちが一休さんの禅機を学びに来ます。
 弟子さんたちには、印可状を必要としない純禅を身を以て開示しなければならないし、純禅の砦としての大徳寺を復興しなければなりません。
 新しく形成されていく文化、芸能は、金閣寺銀閣寺に代表されるような現実遊離の華美、退廃の美ではなく、地獄のそのままの現実から見いだされ、生まれてくる人間らしさを追求する思想とスタンスで通底していました。それはまさに一休禅の根源的な世界観のそれぞれのジャンルでの開花といってもいいような創造行為でした。

 一休さんにはまだし残している仕事が山積みになっているのでした。
 そんな話も、一休さんは森女さんに、睦言の私語の中で、語り明かしてきたのでしょう。一休さんは自分の思想を森女さんに語ることで、目の見えない森女さんの実存と内観を通して、自分の思想の純化ができるのでした。見えない世界を観、聞こえない声を聴くことができるようになるのでした。

 一休さんにとって、森女さんとの愛の実存は、一休禅の究極の現成でした。
 空海さんが、密教においてしか現成できないとして封印した<妙適清浄の句、是菩薩の位なり>の『理趣経』の世界を、一休さんは森女さんと生きたのでした。





★ 仁訳森女0682w01『 看看涅槃堂裡禅 』12s0712

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看々涅槃堂裡禅 昔年百丈鋤頭邊 夜遊爛酔畫屏底 閻老面前奈飯銭

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 看よ看よ、涅槃堂裡の禅、
 昔年、百丈、鋤頭の辺。
 夜遊、爛酔、画屏の底、
 閻老、面前、飯銭を奈イカンせん。

仁訳
 見てよ、見てよ、ほら、森公が涅槃のように寝ている姿を、
 ぼくはうっとりとそんな森女に見惚れて坐っているだけだよ、
 昔々、百丈さんは弟子に鋤を隠されて、絶食したものだけれどね。
 ぼくなんか一日何にも為さずに絵屏風の陰で泥酔しているばかりなんだ、
 閻魔さんにその酒代を支払わされても、溜まりすぎて払えやしないよ。


 華叟さんが一休さんに印可を認めたのは、一休さんがもう自分を超えたし、自分よりも遙かな純禅を生きることを予知したからでしょう。21歳で謙翁さんを超えた一休さんでした。この時既に大応系純禅を印可されたのです。華叟さんの元で一休さんは更にもう一歩踏み込みました。京で酒肆婬坊に耽る逆行に入ったのでした。華叟さんは一休さんのその禅機を認めたのでした。
 ですから、<閻老面前奈飯銭>は、一休さんの「ぼくはもう閻魔さんに冥土への渡し賃は払わないよ」と宣言したのでしょう。「ぼくはここで往生して、泥に戻るんだ。地獄も極楽もないのだからね」というんです。『骸骨』でそう辻説法してきました。

 一休禅のスタンスの初心は、母の遺言にある<釈迦も達磨も奴とせよ>にあるんですね。
 21歳で謙翁さんを超え、27歳で華叟さんを超えた一休さんは大応純禅から、今や、虚堂純禅の再来を志向しているのでした。そして、森女さんに巡り会って、その虚堂さんをも超えたのでした。
 今や、一休さんは、六祖慧能さんがその母を愛したように、森女さんを愛する生活に入ったのです。<妙適清浄の句、是菩薩の位なり>を現成することによって慧能生さんをも超えているのでしょう。
 ひょっとすると、もう、達磨さんをも奴としているのかもしれません。
 今や、一休さんは、弥勒さんの再来を志向しているのでした。


夢ならず人皆菩薩秋落輝   仁


 この古里の美しきかな





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★ 青のくさみ「森女」遊泳1101w12p1003

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無一物心が楽土草紅葉

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 『夢閨夜話』はそのまんま一休さんの閨の夢語りです。
 15歳の『春衣宿花』以来夢観つづけてきたこの世の愛楽土をぼくは今こんな風に生きているんだよ、という森女さんとの愛の生活の啓示です。
 無所住無一物の孤独の身が招き寄せたミラクルな至福の愛です。

 幼くして両手両脚をなくした中村久子さんは寝たきりの文筆家座間愛子に会いに行きます。逢った瞬間に魂が震え、魂が交わるのを感じたといいます。同じ境遇を生きる命と命の共鳴共振でしょう。

 ≫ 逆境こそは本当に私の恩寵(おんちょう)だったのでございます。   中村久子


 中村久子さんのこの言葉は、森女さんにも重なるように感じます。
 一休さんとの巡り愛はその恩寵の花でしょう。
 一休さんは巡り会ってしばらくはまだ森女さんに菩薩を直感することはできなかったようですけれど、愛し合い、語り明かす中で、森女さんの来し方の地獄が見えてきて、今、それを生きぬいて、逆境を恩寵として命を愛おしんでいる森女さんの実存そのものが菩薩の化身であることに気づかせていったようです。一休さんが本当に知りたかった、そして生きたかった菩薩道に巡り会ったのでした。
 今からがほんとうの真面目を生きるはじまりだと思いましたけれど、何しろもう喜寿を越してしまいました。
 『骸骨』をではなく、生身で、菩薩道を生きたかったのでしょうけれど、もう身体も自由にならず、明日も知れぬ身ですから、森女菩薩との愛の生活を三昧する道を選んだのでしょう。
 自然法爾の至福のひとときが繰り返されていきます。


 無一物心が楽土草紅葉   仁


 念い念われ星に連なる





★ 仁訳一休詩165x01『 夢閨夜話 』11m1128

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有時江海有時山 世外道人名利間 夜々鴛鴦禅榻被 風流私語一身閑

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有る時は江海へ、有る時は山へ、
世外の道人、名利を間ヘダつ。
夜々の鴛鴦、禅榻ゼントウの被、
風流の私語、一身は閑か。

仁訳
 現世を避けて、遠く江湖を遊泳し、五山を逍遙するんだ。
 立身も名利も捨てて、ぼくらしく、ぼくらしく生きていくんだよ。
 夜は夜で心を空っぽにして、仲睦まじく愛し合う閨庵の夢を遊ぶのさ。
 妙適の睦み語りは、清浄で、自遊で、好色三昧なんだよ。

 ※ 禅榻=ゼントウ。「座禅用の椅子」のこと。
 ※ 妙適=物我一如。男女合体。情事。菩薩を生きること。
 


 貧なるも欲するものなし夜夜鴛鴦   仁


 遠く女山ゾヤマに立つ茶の煙   仁


 夜半の冬独語風流熱陰嚢   仁


 尼も遊女も菩薩の化身   仁


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 秋の暮こころほとめく遊化の旅   仁


 古人に交じりきみも遊戯せん   



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★ 青のくさみ「森女」遊泳1001w12p100101

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月明かり薪灯りに舞う盲女

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 1471年11月14日、一休さんは住吉の薬師堂で森女さんに邂逅してから、その足で坂井の上の雲門庵に森女さんを同伴し、語り明かしました。
 雲門庵は墨塞年譜に「文明2年、師77才。一檀越有りて、庵を坂井の上に占め、以て師に延ススむ。師喜んで諸徒を携えて徒 り、其の庵に扁して雲門という。蓋し竜山の雲門の祖塔、乱後に草白なるを以て、聊か其の名を存し以て霊光の厳存するに擬するなり」とありますから、かなりの数の弟子たちが同居していたようです。
 後に薪の酬恩庵に戻りますけれど、ここでは室町市民文化の花を咲かせる文人墨客が集うようになり、弟子も百人を越したいいます。そんな大勢の中で一休さんは大らかに森女さんを愛しつづけるんです。その庭を舞台にして一休さんが謡い、森女さんが舞い、同席した者たちが囃すという風流を楽しんでいました。


 月明かり薪灯りに舞う盲女   仁


 涙忘るる時の更けゆく






★ 仁訳森女0694w01『 客散曲終無一声 』森公午睡w12s0701

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客散曲終無一声 不知極睡幾時驚 観面当機胡蝶戯 誰聞日午打三更

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客は散じ、曲は終わりて、一声も無し、
極睡、幾時に驚くかを知らず。
観面、機に当たる胡蝶の戯れ、
誰か聞く、日午に三更を打つを。

仁訳
 宴の客も帰り、賑わいだ歌曲も終わって、もう人の声もしなくなった、
 ぐっすりと眠り込んでしまった森公は、何時になったら目を醒ますことやらね。
 その寝顔を眺めていると、きっと胡蝶の夢を見ているのに違いないよ。
 ぼくだけが知っている、真昼間に真夜中の時を打つ音を聞く秘密の時空なんだよ。



 <ぼくだけが知っている>がいいですね。
 「日午に三更を打つ」の三更は夜中の11時か0時からの2時間をいうそうです。夜中の0時に九つ鼓や鐘を打って時を告げたといいます。夜中の0時をまた子の刻といい、鐘を九つ打つので九つともいいます。2時間おきに一つずつ減らしていくそうです。昼の0時を午の刻。その後が午後になるんですね。
 ついでながら、子の刻の次は丑の刻です。丑の刻を四つに分けて、三つ目が「草木も眠る丑三つ時」です。その後はもう夜が白みはじめます。午の刻の次が未の刻です。八つ鐘を打って知らせます。ちょっと休憩、3時の「お八つ」の時間です。
 一休さんは、謡い、舞い疲れた森女さんが昼寝をして、幸せに微笑んでいる寝顔をしみじみと眺めているんですね。その森女さんが見ている夢の中味まで一休さんは観ることができるんです。それは子の刻にも愛し合い、睦言を重ねている閨の夢なんです。

 <吟行客袖幾詩情 開落百花天地淸 枕上香風寐耶寤 一場春夢不分明>と一休さんは15歳の時詩いました。一休さんが終生幻ミつづけ、詩いつづけてきた閨夢です。
 狂雲を名乗っていた一休さんは、また自ら夢閨を号してもいました。

 一休さんは少年時代より観つづけてきた夢を、森女さんに巡り会って、今、実際に生きているんです。森女さんの靨の笑顔はあの楊貴妃にも優るとべた褒めします。
 <枕上の香風、寐ミか寤ゴか>、森女さんと添い寝している枕べに漂う水仙の香りに酔い痴れる。夢か現か分からない自然法爾の法悦のひとときです。


 芳しき風にほとめけ散るもみじ   仁


 老いにもはなやぐ時のあるらん





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★★★ 青のくさみ「森女」遊泳0901『 無垢は無垢突き抜けて燃ゆ曼珠沙華 』w12q0927 へどうぞ!!! ★★★




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★ 青のくさみ「森女」遊泳0901w12q0927

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無垢は無垢突き抜けて燃ゆ曼珠沙華

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 一休さんは住吉の薬師堂で森女さんに巡り会って、懐かしさがこみ上げ、感動の余り、友だちと同伴していることも忘れて、森女さんと語り込んでしまいました。語り尽くさず、一休さんは森女さんを松栖庵に連れて行って、夜を明かして語り合ったのでした。
 弟子たちも暮らす狭い草庵ですけれど、もう外のことは一切目に入らないようです。
 貞心尼さんと初めて会った良寛さんも、草庵で、夜を徹して、語り明かしたんです。家主さんが傍に住んでいるのですけれど、世間体など気にならないようです。
 一休さんも良寛さんも自在だったんですね。それだけ心が無垢なのでしょう。
 一休さんと良寛さんは全く逆の生き方をしているようですけれど、根源的な生の有り様は同じなのでしょうね。何よりその心根の優しさに於いて一休さんと良寛さんはよく似ているのを感じます。情感の細やかさもパッションの激しさもよく似ているのを感じます。


 無垢は無垢突き抜けて燃ゆ曼珠沙華   仁


 罪は分別命は清浄







★ 仁訳森女0693『 木凋葉落更回春 』謝森公深恩之願書w12t0617

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 右余薪園小舎寓有年 森侍者聞余風彩 已有饗慕之志 余亦知焉 然因循至今 辛卯之春 邂逅于墨吉 問以素志 則諾而応 因作小詩述之

木凋葉落更回春 長緑生花旧約新 森也深恩若忘却 無量億劫畜生身

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 森公の深恩に謝するの願書
 右は、余、薪園の小舎寓して年有り。森侍者、余の風采を聞きて、已に饗慕の志有り。余また知る焉。然れども因循して今に至る。辛卯の春、墨吉に邂逅して以て素志を問えば、即ち諾して応ず。因りて小詩を作りて之を述ぶ。

 木は凋み、葉は落ち、更に春に回カエる、
 緑を長じ、花を生じ、旧約も新たになる。
 森也が深恩、若し忘却すれば、
 無量億劫、畜生の身。


仁訳
 木は凋んで枯れ、葉は朽ちて落ちる老いの身に、春がまた回ってきたよ。
 枝には青々と葉が繁り、花は咲き誇り、ほら、昔の情熱が蘇ってくる。
 こんなにも回生させてくれる森公の深い慈愛を、もし忘れるようなことがあれば、
 ぼくは、永遠に、畜生の身のまま救われることはないだろうさ。




 ずっと前にも、一休さんは森女さんと巡り会っていたんです。
 森女さんは、貞心尼さんと同じで、一休さんの人望を聞いて、一休さんに会って話を聞いてもらいたいと願ったのでした。話を聞いてもらうだけでも心が軽くなるような気がしていたのです。できれば高徳の一休さんに帰依して残る人生に安堵の境地を求めたいと願っていたのでした。そして一休さんに会って、話を聞いてもらいます。想像していた通りの人で、親身になって聞いてくれるばかりでなく、わが身をも愛おしんでくれるのを感じました。身も心もひさいで生きてきた森女さんは一休さんの体温も求める心になっていました。その心の動きを一休さんも感じとっていたのですけれど、何故か、一休さんは、すぐには森女さんを抱くことができなかったようです。
 一休さんにとって、森女さんの実存は、一休さんも知ることのできないほど過酷な地獄模様を生きぬいてきているのです。一休さんは自分は世間の地獄の実相をつぶさに見てきて、その衆生と一緒に生きる志で、逆行三昧を生きてきたけれど、それは方便に過ぎなかったことに気づかされたのでした。衆生救済も利他行も慢心の為せる業であることに気づかされたのでした。
 そのことに気づかせてくれた森女さんに、一休さんは菩薩さんの化身を幻視するようになったのです。そしてその菩薩さんと一体化する道を歩きはじめたのでした。
 今までの方便として生きてきた逆行もなく、順行もない、命の自然法爾を生きはじめたのでした。

 それはもう言葉で表現できる世界ではなく、生きぬいてきた森女さんの命の実存があるだけの世界ですけれど、それを知った一休さんは、詩魂を捨てることはできず、森女さんと生きた自然法爾の命の世界を、28文字の七言絶句の漢詩で表現しました。
 不立文字の時空です。
 この人を見よ、の時空です。

 良寛さんも、貞心尼さんとの不立文字の愛時空を生きました。
 自然法爾の命の愛時空です。




 月影や拈華微笑の愛あらめ   仁


 はだかの命はだかの心





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青柳仁
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自己紹介:
 21世紀を平和の世紀に!
 平和の砦を守る戦士として生きていますけれど、身近な人たちの中で、戦争に対してNO!と言い続けるスタンスを持ち続けていくことしかできません。
 手に花を!心に平和の砦を!

 平和の砦の源泉は子どもたちの未来を守ることです。子どもたちが生きる希望と勇気を持つ世の中を創りだしていきましょう。
 子どもたちと一緒に生きましょう。

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